戸澤の週報
2019年03月23日
イチロー
ついにイチロー選手が引退しました。
いつかはこの日が来ることは分かっていたのですが、それでもなんだか信じられない気がします。
心のどこかで50歳まではこれからも頑張ってくれるのではないかと思っていました。
同年代なので余計に気持ちが入っているのかもしれませんね。
まずは心よりお疲れさまでしたとお伝えしたいです。
イチロー選手のこれまでの成績は今さらお伝えすることは何もありません。
しかし一番印象に残ったのが2009年のWBCの韓国戦の延長10回の決勝打でしょう。
日本中の期待を一身に背負った、どう考えてもすさまじいプレッシャーの中で放った、教科書に書いてあるようなセンター返しのヒットを忘れることが出来ません。
イチローがイチローであった証明になるような一日だったのではないかと思っています。
もちろんこれは私が勝手に思っているだけですが。
引退会見の中でいくつか印象的な話がありました。
「あくまでも、はかりは自分の中にある。自分なりにはかりを使いながら、自分の限界をみながら、ちょっと超えていくと言う事をくり返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっていた。」とあります。
人から見てどうかが問題ではなく、頑張っているかどうかは自分が一番わかるはずだと言う事だと思います。
そう考えると、イチロー選手は周りの誰とも戦っていなくて、唯一戦っていたのは自分と言う事になりますね。
周りが見ているよりもはるかに自分自身と戦っていて、成果を出すための努力をされていたと思います。
自分との戦いは、ズルが出来ないだけあって本当の意味で真剣勝負です。
森信三先生はこの件に関して以下のように言っています。
「真の誠とは、その時その時の自己の精一杯を尽くしながら、しかも常にその足らざるを嘆くものでなければならぬ」
まさにイチロー選手のことを言い表しているようです。
会見の最後の方で、成功に関してこのように述べています。
「成功かどうかってよく分からないですよね。じゃあどこからが成功で、そうじゃないのかと言うのは、全く僕には判断できない。成功と言う言葉がだから僕は嫌いなんですねど」
そして、何を得たのかと言う質問には、
「まあ、こんなものかなあと言う感覚ですかね。」とあります。
野球のなかでイチロー選手の成績を成功としなければ、成功をした人はほとんどいなくなってしまいます。
それでも、この発言から分かることは、ここでも自分で決めていると言う事です。
成功と言うか、これは良いと判断するのは自分自身で、一度クリアしてしまったら、またその上の目標が設定されるので、いつまでも達成感が感じられず、挑戦者である感覚なのでしょう。
この辺りはほんの少しでありますが、理解できます。
成功の感想で、こんなものかなと言う感覚と言うのは、恐らく成功と言うのはそう言う性質なものかもしれないなと思いました。
確かに短期間で限ってみれば、テストで100点を取れたら成功なのかもしれません。
でもそれらのことは基本的に通過点であって、テストの100点はその先の大きなテストのための通過点であり、その先の大きなテストも、その先のなにかのものの通過点に過ぎません。
そうするとやはり、いつまでたっても成功したという明確な気持ちを感じることは難しいのかもしれません。
これからは野球の楽しみが一つ減ってしまいますが、これまでもらったものは非常に大きいです。
少しでも見習って、自分なりに納得が行く領域にできる限り近づいてみたいと思います。