戸澤の週報
2019年09月01日
老子
8月が終わりました。
夜には大分涼しくなってきており、秋の気配を感じます。
季節の移り変わりとなりました。
夏が終わってしまうと思うと、少し寂しくなります。
米中の貿易戦争がさらなる過熱に向かっています。
9月より、第4弾の関税が課されて、双方のほとんどの製品に関税がかかることとなります。
このように非常に不透明な状況では、過去の歴史や古典にそのヒントを求めたくなります。
古典で代表格と言えば孔子の「論語」ですね。
そしてもう一つが「老子」です。
二人は同じ時代に生きており双方がライバルと言われていますが、その考え方は真逆です。
「上り坂の論語、下り坂の老子」と称されています。
違った言い方をすれば、元気な時には孔子の論語を読み、いまいち調子が出ない時には老子を読むのが好ましいと言われています。
論語は人間の礼節を大切にして、自らを厳しく律して生きて行かなければならないという考え方です。
老子はその反対で「なるようにしかならない」と言った現状を正すのではなく容認する考え方が一般的です。
「曲なれば即ち全し:きょくなればすなわちまったし」
何かを成し遂げるには、直線的ではなく曲線的に生きる方が良い。
眼鏡は曲がっている部分があるからこそ耳にフィットして、落ちにくくなります。
この事はできないことを嘆くよりも、どうせ自分は人と違うのだからと開き直ってしまうということも必要だということです。
「上善は水の如し」
水は「柔軟である」という特徴を備えており、人間も水のような特徴を身につければ理想的な生き方ができるというのです。
水は下へ下へと流れ、時には上記になったり氷になったりで主体性が無いようにも見えます。
しかし、時は岩をも砕くほどの荒々しい滝になります。
水の弱さ、言い換えると柔軟性があるからこそ、強固なものに打ち勝つことができる。
そう考えると弱さこそが武器になるという考え方です。
「天下は神器、為すべからず、執るべからず。為す者はこれを敗り、執る者はこれを失う。」
何事も、完璧にやり遂げて、その達成のために努力をすることは良いことだが、世界とは人間の力が及ばないもので、思い通りにいかないものだ。
それを思い通りにしようとすると滅びの道に繋がると説いています。
完璧主義は自分も他人も苦しめてしまうということですね。
どの文言も共通しているのは「ありのまま」に従うということです。
老子の考え方の根底には「無為自然」があります。
人間としての知恵や身勝手な感情を捨てて、自然の法則に従ってありのままに生きること。
人間も自然の一部なのだから、自然体で生きようという教えです。
2500年に渡って伝わってきた文献です。
本当の強さは何なのかと言う問いに真っ向から答えているこの老子をもっと勉強し、この混沌とした現在をまた別の視点で見てみたいと思いました。