戸澤の週報
2020年07月05日
小林一三
熊本では、猛烈な雨が降り珠磨川が氾濫して犠牲者が出てしまいました。
夏には多くの場所で気候が荒れてきており、心配が続きます。
ここ最近は実質の阪急電車の創始者である「小林一三:こばやしいちぞう」についての本を読んで勉強していました。
慶応大学を卒業後、色々あって結局三井銀行に入ります。
三井銀行では大きな足跡を残すことはありませんでしたが、ここで銀行業務に精通できたのが今後に大いに活きることとなりました。
その後紆余曲折有り、阪急電車の前身である「箕面有馬電気軌道」の設立に関わることとなった。現在阪急電車と言えば、関西にいる人であればだれもが知っている有名な電車です。
最初は非常に小規模な組織でして、ただの電車会社の経営をしていても大きな発展性は無いと考え、いわゆる「宝塚モデル」を考案した方です。
これらは、主業務の電車の経営だけをしていたらうまくいかない。
必然的に阪急電車を使用してもらうためには、阪急沿線に住んでもらえばよいと考え、線路周辺の土地を広い範囲で買収し、住宅街として販売していきました。
そして、住宅だけではなく「宝塚温泉」を開業し娯楽施設へ足を運んでもらうように手を打ちます。
そして、この宝塚温泉の中で生まれたのが、宝塚歌劇団の前身の宝塚唱歌隊です。
以後の発展はご存知の通りです。
箕面動物園も作り(こちらはしばらくして閉鎖)、宝塚ホテルも完成させています。
これらひとつの主軸となるビジネスから、関連性を見つけ出し、各ビジネスに展開していく。一見それぞれが関係ないように見えて、それぞれが裏では繋がっており、最後には電車の収入になるような仕組みです。
これらのやり方は「芋づる式」とも言われています。
今でこそ、この宝塚モデルは日本の私鉄列車の参考モデルとなっていますが、一番の元祖は古小林一三さんであるようです。
一つのビジネスを成功させようとしても、簡単には行きません。
そこでそのびそのビジネスを需要まで自分たちで作ってしまおうという発想です。
実に合理的で、夢がある考え方かと素直に思います。
発想・実行共に実践ありきで、とても魅力的なひとだったようです。
経済雑誌「ダイヤモンド」を創刊させた石山賢吉が言うには、この時代(1910年~)には、小林一三だけではなく、多くの著名な経営者がいたようです。
武藤山治(鐘紡紡績)、藤原銀次郎(王子製紙)、野間清治(講談社)、牧野元次郎(不動貯金銀行)、大可内正敏(理化学研究所)、相馬尾愛蔵(中村屋)、加藤清二郎(須田町食堂)です。
それぞれの経営手法を「小林阪急型」「武藤式鐘紡型」「藤原式王子型」「野間式講談社型」「牧野式不動貯金型」「大河内式理研型」「相馬式中村屋型」「加藤式須田町型」と名付けました。
小林一三の経営を勉強するだけでも大きなヒントになりました。
これらが同時代で残り7人もあるかと思うと、なんだかワクワクしてきます。
まだまだ勉強しなければいけないことがたくさんあります。