戸澤の週報
2019年05月19日
明治に学ぶ
本社が池袋の新事務所に移りまして2週間が経ちました。
今まで慣れ親しんできた事務所や高田馬場界隈とは大分勝手が違うため、まだ慣れません。
多くの方よりお花やお祝いものを頂きまして、心から感謝しております。
新しいオフィスに負けないように、我々は成長していきます。
今の世界情勢の中での日本を見ていると、その昔の幕末から明治時代に入るところによく似ている気がしています。
黒船が来航し江戸幕府に開国を迫りました。
現在の貿易戦争は日本に対して世界の景気と言う外部要因任せではない、何かを求めている気がします。
それは「自らの意志」だと思います。
日本と言う国の単位でみると、国を守り、成長させていくために、何を大切にして何を実行していくのかという考えです。
企業の単位で考えると、どこかに依存するのではなく、自らが自らの市場を切り開き商売することだと思います。
どこかに守られた会社は、そこの考え一つで運命が変わってしまいます。
共通の目的のために対等な形でアライアンスを持つことは非常に良いことだと思います。
しかしながら、会社の運命を決するところの最後の部分はその会社が決めるべきだと思います。
そのようにして、会社同士が切磋琢磨して互いを鍛えあうことによって、大きな成長につながると思います。
そして、新しい時代を切り開くためには、一部の政治家などのリーダーをイメージしがちですが違います。
過去の偉業を見てみても、多くのことが特定の人がやり遂げたかのように書かれています。
しかしながら、どれ一つとっても本当は一人で最後までやる抜くことなど決してできません。
「非凡なる凡人」とは明治36年に発表された国木田独歩の名作の名前です。
時代を創るのは一部のリーダーだけではなく、多くの民衆です。
その本の中で主人公は友人である桂君の仕事場を訪ねます。
桂君は一心不乱に器械を修理しているところでした。その様子を見た主人公はこう綴っています。
「桂の顔、様子!彼は他に誰も見ていない場でも、我を忘れ、一生懸命に今その為しつつある仕事に打ち込んでいる。
見ている中に、僕はある種の荘厳に打たれた」とあります。
我を忘れて機会の修復作業に当たる「非凡なる凡人」は「僕」に「一種の荘厳」を感じさせるだけのものを持っていました。
と同時に「非凡なる凡人」の働く姿に「一種の荘厳」さを感じ取る感性を明治の日本人は持っていたということです。
一人一人が現在の状況を正しく認識し、自分が何をすべきかを考え、実行することができたならどうなるでしょうか?
思っている以上に簡単に現在の問題点は解決できるのかもしれません。
現在は分かりずらい時代になってきています。
それでも幕末の状況に比べれば今のほうがまだ優しい状況かもしれません。
今こそ明治という時代や、そこに生きていた人たちを学んで、今の状況に活かしていくべきだと考えています。