戸澤の週報
2018年05月27日
青春の門
5月の新緑も深まってきて、25度を超える日が多くなってきました。
梅雨前の1年で一番良いこの気候を楽しめるのもあとわずかです。
心残り無いように過ごしていきたいと思います。
しばらく前より読み進めていました、五木寛之の「青春の門」全8巻を読了しました。
1969年に週刊現代で連載が始まって以来、未だに完結されていない全8巻と言う量もそうですが、約50年と言う時を超える超大作です。
故郷の筑豊を離れ、東京に上京し早稲田大学に入学してから様々な葛藤、挫折、再起を繰り返して苦悩する伊吹信介の青春冒険ストーリーです。
読んでまず勉強になったことが、漠然としか知らなかった当時の学生運動の様子です。
今では考えられない当時の組織だった活動が生々しく伝わってきます。
内容の是非がどうと言うよりも、当時の学生の政治や日本と言う国に対する強い当事者意識に関しては大いに見習うべきものがあります。
主人公の伊吹信介が作品中で終始求めているものが「人生の目的」です。
自分の一生を掛けてでも打ち込みたい何かを探し続けています。
連載より50年近くたっていてもまだ見つかっていないあたりは、本題の難しさの象徴なのでしょうか?
本作品の中で青春についてこう記載があります。
誰もが一度は通りすぎる、そしてただ一度しか通ることの許されない青春の門。
考えてみれば自分自身も通った道なのですね。
そして、通り過ぎてしまったらもう2度と通ることを許されない門だったことに気が付きます。
一生懸命に何かを考えて、でもとても不器用で一直線。
その為にうまく行かないことも多く、恥をかくことも多々。
それでも有り余るほどのエネルギーを背景に、少々問題があろうが懸命に先に進もうとする、それはまるで電池で動くおもちゃの蒸気機関車みたいなものです。
スイッチを切らない限り動き続けていて、持ち上げられても車輪は回っていて、地面に着けばまた勢いよく進み続けます。
「人生の目的」と言う、人に取っての最重要課題の獲得に対する飽くなき執念のようなものが本書から感じられます。
翻って自分自身はどうでしょうか?
本当の意味で生命を燃やして進むべき道を探し、その道を定めたなら、ただ一道を極めていくために自らの持つすべてをそこにぶつけていく事が出来ているかは、疑問が付いてしまいます。
青春の門を通っていた時の自分自身と今の自分がもし会話することができたとしたら当時の自分は今の自分を「良くやっている」と言ってくれるでしょうか?
もう一度青春の門の前に戻ることはできないかもしれません。
しかしながら、暑い情熱を再び思い出して、今の場所でもう一度再スタートすることはいつでもできます。
人間一人一人が持つ無限の可能性を改めて感じた良書でした。
これからもしばらく続くようですので、伊吹信介の行く末を見守っていきたいと思います。