戸澤の週報
2020年09月27日
色の名前
台風の季節が続いています。
今回は大きな被害にはならず幸いでした。
まだまだ油断できない時期が続きます。
今年だけはご勘弁頂きたいものです。
先週学んだことは国の文化とその言葉の関係についてです。
日本語で空気を読むという言葉があります。
アメリカでも「read between the lines:行間を読む」と言う言葉があります。
イタリア語の中に、この概念は無いようです。
イタリアでは、周りの雰囲気を気にすることよりも、自分の感情や意見を率直に表現することの方が大事です。
逆にイタリアでは牛肉の部位の分け方が非常に細かいです。
例えば日本では肩肉しか表現しませんが、イタリアでは、肩肉を前、中、後上部、後下部の4つの呼び方があり、そして、それぞれの地方でそれらの呼び方が別にあります。
なぜ、こんなにイタリアでは多様な呼び方があるのか?
それは、イタリアでは食がとても大事で、肉の文化であるからだということです。
大切にするということは、違いが理解できるということに繋がるのですね。
それでは今度は日本の方が細かく分類された呼び名があるかと言うと、あります。
「色」の呼び方です。
日本語では青色だけでも「藍色」「瑠璃色」「群青色」、そして「茄子紺」、「浅葱色:あさぎいろ」「水浅葱」「瓶覗:かめのぞき」など、本当に細分化され、微妙な色の違いを表すものです。
このように繊細な色の違いを表す言葉があるということは、それらを見分ける感性を持っているということですね。
色の呼び名はこれだけ細かいということは、色の感性では日本の方がちょっとすごいかもしれません。
他に大工さんでで考えてみると、木材を削るときに使われる鉋(カンナ)の種類は50余りだということです。
木の表面を切るだけでもそれだけの種類があるのは驚きです。
本当に良いものを作りたいという想いが、鉋と言うひとつの道具をこれだけ多様なものに変化させたのだと思います。
そのように考えていくと、本当に良いものを理解したり作ったりするには、きちんと言葉や道具を繊細に使い分けることが必要なことが分かってきます。
現在の世の中の風潮は、何でも一括りにして対応しようとします。
生産性を向上させようと考えるとその方が都合が良いからですが、それによって失ってしまうことも多いことを同時に理解する必要があります。
合理性を追求するあまり、大切なエッセンスの部分まで失ってしまっては本末転倒です。
そんな大切なものまで失ってしまうのであれば、最初から何もしない方がましかもしれません。
最近ようやく、本当に我々が目指すべき大切なものは、そんなに簡単に単純なものではなく、実に多くの試行錯誤の経て、様々な失敗を経て、ようやくたどり着けるものだと理解できるようになりました。