戸澤の週報
2023年07月02日
言葉について考える
関東地方は、まだ梅雨が終わっていないようですが、既に夏本番の陽気になっております。
梅雨前線はまだいるため、雨もしばらく降りそうです。
変わりやすい天気に当面は気を付ける日々が続きそうです。
人前で言葉を話す時に気を付けることは、言葉選びです。
もちろん、万人に聞こえの良いきれいな言葉を選んで使うという意味もあるのですが、言葉と言葉が結びつき生み出す意味の事です。
例えば、次の二つの文章を比べてみてください。
A.私は、水泳だけをできる。
B.私は、水泳だけができる。
AとBは「を」が使われるか「が」使われるかだけの違いですが、内容が随分と変わってきます。
AとBは同じ解釈をすることも可能です。
他のスポーツなどを行わずに、水泳だけに集中することが可能だという意味です。
しかし、BにはAにない、もう一つの意味を与えることもできます。
私は他のことができないけど、水泳ならできるという意味です。
言語学ではこれを「統語論」と呼びます。
単語の結びつき方・構造が内容に影響を与えています。
悪い言語哲学入門(ちくま新書 和泉悠著)が分かりやすく教えてくれています。
(この著書名も統語論上、複数の解釈が生まれており、よろしくありません。著者のユーモアですが)
社内での研修や、顧客でのプレゼンテーションなどは、多くの人数を前に、質問を交えず一方的に説明することが大半です。
その場合は特に気を付けなければいけません。
常に自分が話している話が、一通りの解釈に絞れているかを考えながら進める必要があります。
もう一つの大きなテーマは悪口でした。
悪口とはどうしたら成立するかと言う投げかけがありました。
悪口は人を傷つけるものであるという仮定は、必ずしも当てはまりません。
悪口の本質は「ランク付け」と言うことです。
理念上は、私達には上下もなくお互い平等のはずです。
その観点からも、人々をおとしめ、低い位置にランク付ける行為は、その理念をないがしろにするため悪いのです。
日本の武士道でも、ヨーロッパの騎士道でも、悪口に対する反感を非常に大きかったようです。
鎌倉幕府が制定した、御成敗式目には悪口を禁止する項目が含まれていたようです。
実際に多くの武士が悪口を言っただけで牢屋に入れられていたということです。
それだけ、悪口が理由で殺し合ってしまうことが起こっていたのです。
人間の世界ですので、感情が複雑に絡み合っています。
人はどこかで、自分と相手の社会的な位置づけから、人のランク付けを行い、自分よりランクを下にしてしまっていることもあります。
このランク付けの概念こそ、いじめに繋がっていくものであると理解しました。
薩摩藩が行っていた独特の教育方法である郷中教育では、そもそもの考えとして、人は道を究めるために歩きだして、求道している存在とあります。
先輩はあとから入ってくる後輩よりも、先に歩き出しているという考えです。
そこには上下の関係はなく、左右の広がりの考えです。
ランク付けはどこにでも潜んでおり、ヘイトスピーチもランク付けの最も最たる例と言えそうです。
社内でやるべき研修はこのランク付けの概念を壊すことからと言えそうです。